先日の「ウィキアサーチの透明性でうれしいことって?」に続いて、ウィキアサーチに関する感想。
ウィキアサーチの野望~“グーグル中毒”の現状に一石を投じられるか? @ 日経BP Business Week
「この動きには、権力や支配についての我々の見方が投影されている。中身がブラックボックス化した独自仕様のソフトウエアは要注意だと思う。ひと握りの企業が、とてつもなく大きな流れを牛耳ることになる」(ウェールズ氏)
ウィキアが目指すのは、「満足のいく品質を達成して、検索業界各社を刺激し、さらなるオープン化へと向かわせること」(ウェールズ氏)だという。
さすがに始めた人の生の言葉だけあって、前の記事で引用したITproの解説よりも理解できる。
イデオロギー的なものがありきで、そのためのオープンであるという、明確なメッセージだ。サービスの質向上は、手段であって目標ではないように見える。
一方で、ちょっと説明が大味だなと思った箇所もあった。
ウィキアサーチには、グーグルをはじめとする多くのウェブ検索サイトとは一線を画す特徴がある。コンピュータープログラムを利用した検索手法に、人間を関与させた点だ。
Wikia Searchと他のサーチエンジンの違いは、人間が関与しているかどうかではなく、誰の意見が反映されるかだと思う。
例えばnamazuは検索対象の文書しか見ないから、文書の書き手の意見でスコアが決まる。
Googleは検索対象の文書の他に、その文書にリンクしている文書まで考慮する。
つまり、他の文書の書き手の意見までスコアに反映させている。
Wikia Searchは、検索者の意見を反映する。
では、Googleが考慮する「他の書き手」と、Wikia Searchが考慮する「検索者」はどう違うのか。