多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のことらしい。 (略)ほんの一瞬だけ考えようとしたくらいで「考えた」なんて言わないでほしい。
本当に考えたの? @ MORI LOG ACADEMY
3年で1000個思いつき、100個作り、10個リリースして、1個のイノベーションを起こすこと。
僕のサイボウズラボでの仕事について @ 西尾泰和のはてなダイアリー
つまり、「考える」ということには以下の2段階があるということです。
- 小さなアウトプットを重ねて穴=自分が何がわかっていないかを可視化する
- 問題が穴埋め問題に変換できたところで最終的な解決を導き出す
たいていの人は問題はこうやって2段階で「考える」のだということを知りません。それで一気に最終的な解決案を導き出そうとして「できません」なんて言う。(略)
そういう人には「考える」って頭を使うことじゃなく手を使うことですよって言いたい。「考える」のは頭じゃなくて、目の前の紙と手の組み合わせなんだって。
Fw:本当に考えたの?(それは「考えた」と言わない。) @ DESIGN IT! w/LOVE
激しく同意。 手を動かして物を作ることは、アイディアを考えることの役に立つ。
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16個かぁ。「3年で100個」の1/2のペース。…ってのはまた別の話で、例えばこの中で「地名の抽出」と「地名を経度緯度に変換する」のと「地図に表示する」のはお互いの改良の効率を上げることができるので、それぞれは「とりあえず」でいいから作ってみて組み合わせて動かしてみる。 変な場所にプロットされることがあるけれど、地名の切り出し方がおかしいのか、地名から経度緯度に変換するときにおかしいのか、よく分かる。 東京が長野の山中にプロットされるから拡大してみると「長野県上水内郡東京」だったとか「ライブドア」の記事が表示されていると思ったら「弥生」を地名と認識してたとかね。逆に県名だけのは表示されないな~、うーん、どうしよう…となるわけ。
こういったデータ処理は、実際に動かしてみるまで見えてこない問題が多い。しかも質(クオリティ)の問題だと、100%完璧にすることが目的ではなくて限られたコストでどこまで高められるかという話になるので、またややこしい。 質を高めるために以前決めた仕様を変えることもある。 幾つかの要素が組み合わさっているときには、どこがボトルネックなのか、どこが改善しやすいか、を定期的に確認しないといけない。ボトルネックを改善していったら、いつかは2番手だったのが一番の問題になるので、そっちを叩くように切り替えないといけない。まさにルウディのルタバガ法則ってやつだ。
Charlieはプログラム以外でも書きなぐっておく人間である。後で読み返すためでなく、考えるためのほうが多い。幼稚園の頃、他の子達とは明らかに違う異様な速さでお絵かき帳とペンを消費していた。車の内部構造とか(てんででたらめだけど)、「ジェリーを捕えるための荒唐無稽な仕掛け」とか、今に続く「書きながら考える」パターンの片鱗がうかがえる(笑)。 たぶん一生書き続けていくので、殺したいと思ったら紙もケータイもPCもPDAも一切合財取り上げるのがてっとり早いと思う。
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