コピーユーザーが市場にとってマイナス要因だというのは私も同感。
違法コピーが違法だというのに異論はない。
でも、コピーユーザーがいたのは他の機種だって一緒。
なのにX68k市場だけコピーユーザーが主たる要因で壊滅したの?ってところが気になっている。なので、「新しいコンセプト……」というのは意図とは逆に捉えられたのかな、と感じた。
でもね、当時の僕のような田舎の熱狂的な1ユーザーにとっては、「大好きなマイコンのゲームが、なぜか急に全然発売されなくなってしまった」という感覚しかなかった。そもそも、この理屈を是とするならば、新しいコンセプトを持つ、既存の機種との上位互換のないハードでゲームを発売すること自体が間違っているってことになる。
「X68000の落日」から、僕が学んだこと @ 琥珀色の戯言
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「マイコンゲーム文化」が急速に衰退期に入っていったことを考えると、「ユーザーの不正コピーがX68000のゲーム市場を終わらせた」わけではなくて、あれは、「マイコンでゲームをする時代そのものの終焉」だったのかもしれない、と思う。
こちらの印象は同感。スーファミが90年末、PlayStationが94年末、この辺ですかね。
その後は、ゲーム機もPCも、ハードウェアは儲からないものになっていった。X68kはPC-98に比べてもともと市場が小さかったから早く消滅したというだけなのかも。
fujipon氏とCharlieの感じているのは大筋一緒だったんではないかという気がする。 それでも買い支えやリスペクトの話が出てくると、Charlieはどうにも違和感を覚えてしまった。 なぜなのかを少し考察。
Charlieは97年までGCCメンテしていたわけですが、末期はシャッター商店街に残った酒屋の店主みたいな心境。
SX-WINDOW対応モードとか、使って開発する人が100人もいない。でも使っている人からバグ報告が上がってきて、直して感謝のコメントがあると、それが嬉しくてメンテし続けられるわけですよ。
んじゃ何でやめちゃったか。
感謝が不足したわけではなく(逆に使っていただいていた皆さん、ごめんなさい)、
フリーウェアだから当然お金の問題でもなく、
単に他に時間をかけてやることができたから。
言い換えると、感謝もお金も全部総合して自分にとってメリットが大きい方を選んだことになる。
そういう経験があるので、
リスペクトしても潰れることはあるし、沢山買ってもなお潰れちゃうことはある、と思うのですよ。漫画でも映画でも歌手でもゲームでも、続きに対する期待や思い入れと、実際に続くかどうかは相関しないなぁ、と。
ここからは勝手な想像ですが、X68kで「倍は売れないとおかしい」とかいう発言を受けてユーザーがみんなソフトの購入を倍に増やしたところで、ジャンピングフラッシュやリッジレーサーの人たちがX68kでゲームを作り続けてはくれたとは思わないのです。
たとえ話はITの人の悪い(?)癖なんだけど、ちょっと作ってみた。
藪の中にお金が落ちている。でも藪には蚊がいることも分かってる。 そこで虫除けスプレーをしてからお金を拾いに入ったが刺されてしまった。 さてどうしよう。
最終的にはほとんど全員藪から出てしまったのだけれども、それは目ぼしいお金は拾いきってしまったし、隣にもっと大金が落ちていそうな藪が見つかったからだったりしない? あと、コピー問題以外の蚊もいたのではないかしらん?
本当の末期には、負のスパイラルが働いてたんだろうな。買う人の数に比べて種類が多い(メディアも5インチと3.5インチだし)X68kのゲームを置いても不良在庫になりやすいので扱う種類を減らす販売店が出る。減らすと売れない。売れないから減らす……、と。残るのは大型店のみ。知名度が落ちていってる歌手のCDの扱いも似てるよね。
えっと何の話だったか。
15インチモニタCZ612Dの方は、メインではないですがまだまだ現役です。Windows用の68エミュは最近使ってないなぁ。今のマシンにはゲームパッドをつけてないからアクション、シューティング系はやりにくいだろうし。Master of Monsters IIとか銀英伝とかあるけど、時間が……。
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