2009/02/25

パーマリンク 01:27:56, 著者: Charlie

ペダルの重い自転車は体力づくりの道具なんですよ、たぶん。

格安自転車を使うことで失われる3つの感覚 @ 松浦晋也「人と技術と情報の界面を探る」

日常の中で良い道具を使うことはとても大切なのは同意する。
ただし日常で触れる道具なりサービスなりが100あったらその中で自転車の優先度は何番目か、という個人の中での相対的な価値基準があるし、5万円の自転車を買わずに1万円の自転車を使ったときにもたらされる損失がどれほどか、っていうのも個人によって違うだろう。
だから、判断の材料を人に教えるのはいいことだけれども、実際に高めの自転車を買う人が増えるかどうかはまた別の話だと思う。 啓蒙家の中には、アピールした相手に受け入れられないと怒りだしたり頭の悪い奴と見下したりする人もいるようだが、そりゃ違うよね。 (松浦さんがそうだというのではない)

...

機械は整備が必要だという感覚が失われるのは、エンジニアリングの究極目標からすればむしろ喜ばしいことのはず。悪いのは、整備の必要性が残っているものをメンテフリーのように錯誤させている社会。メンテしないと危険で、その社会的代償が大きいと言うんだったら自動車の車検制度みたいなものを作ればいい。

自転車の可能性(30kmとか100kmの距離の移動手段に使える)を低く見誤ることで交通体系での正しい位置づけが出来なくなっている、というのも本当にそうなのか疑問。
自動車が優先されているのは経済に与える影響力がとても大きいからなのでは。しかも、貨物輸送の手段としての自動車が重視されているのであって、道路行政の中での人間の移動手段についての考慮の比重はそれほど高くないのではないかと想像する(都市部では比較的高いかも。だとしても例えば首都圏で電車から自転車通勤にほぼ全部切り替えるのは無理っぽい。後でちゃんと計算してみようと思ったことは、JR山手線を自転車道に置き換えたとしたら、通勤時間帯の自転車の密度がどうなるか)。
大げさに言うと、自動車道は貨物輸送のために作ってあって、貨物輸送を邪魔しないから乗用車にも使わせてあげている。でも自転車は邪魔になるし、貨物輸送の代替にはならないから論外、って理論なのではないかと。

自分の可能性が失われる、ってのは最初に述べた通り相対論。ケータイだって枕だって眼鏡だってパンツだって「身体に密着した道具」なのだ。

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